今日も引き続き凹み中です。
そんな凹み中ではありますが、昨日は心を少し癒して気分を紛らわせようと思い、重松清の『きよしこ』を読みました。
おや?
確かにいつもの重松節なのに、先日読んだ『くちぶえ番長』みたいにしっくりこない。
凹み中だからうまく気持ちが登場人物の気持ちに乗っていけなかったのかなぁ…。
内容は吃音症の少年の成長物語。
成長とともに吃音が治っていくような安易な話ではなく、症状としては逆に重度化しつつも気持ちは軽くなっていくという心を揺さぶる話ではありました。
確かに子供達にも勧められる良い話で、巷では絶賛されている本のようですが、なぜ自分の心にはそれ程響かなかったのかよくわかりません。
あらためて振り返ってみると、昔から吃音症の人はわりと身近に何人もいたんですが、彼らに対して、大変だなぁとか可哀想だなぁといった感情をあまり持ったことがなく、こういうと何だか格好付けて聞こえるかもしれませんが、その話し方はただ単にその人の特徴というか個性というか、そういうものだとわりと客観的に見ていたので、その本人達が「きよし」みたいに悔しさに涙していたというイメージが湧いてこないからなのかもしれません。
これまで読んだ彼の小説(全て子供向けの文庫)は、どれも筆者が登場人物に語りかけるような作品で、一見ノンフィクションかと読み違えそうになります。
これがいわゆる重松節の作風なんでしょうね。
あ、でも知らなかったんですが、重松さんは吃音症であるらしく、この本はどうやら自伝的小説のようです。
ということは、『きよしこ』はノンフィクションなんでしょうか?
一部ノンフィクション?
まさか全てフィクションじゃないよなぁ…。
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